平成10年から平成12年までのメディアスクラップ


 福井新聞  平成10年8月23日  和太鼓競演1万人魅了  織田でOTAIKO響'98

 和太鼓の祭典、OTAIKO響'98(同実行委主催、福井新間社など共催)は22日、織田町のオタイコヒルズで開かれた。全国から集まった太鼓秦者が汗を散らし競演、ズンズンと腹の底にまで響く勇壮な音に、約一万人の観客が酔いしれた。プロローグでは地元の幼稚園児が伝統芸能の明神だいずりを演奏。初出場の織田中の男女生徒10人でつくる「輝楽羅(きらら)」が、創作太鼓「暁(よあけ)」で力強いばちさばきを見せた。
 午後7時からの「OTAIKO響宴98」には三重県の「津・高虎太鼓」をはじめ東京、大分などから5団体1個人が出場し、幻想的にライトアップされた舞台で熱演。世界的に活躍するレナード衛藤さんは、バイオリン、サックス奏者とユニットを組み斬新(ざんしん)なリズムを披露したほか、地元のOTAIKO座明神神が北陸随一の大太鼓、明神を駆使しダイナミックなステージを繰り広げ、観客を沸かせた。
 オール・ジャパン・オタイコ・コンテストでは、一本打ちの部で国内外の6人、団体の部で県外の6団体が技を競い合った。
 両部門の知事賞には馬場誠さん(福島)、大館曲げわっぱ太鼓(秋田)、町長賞には溜渕ティファニさん(米国)、乾武神流川太鼓(埼玉)、加賀白山太鼓(石川)が輝いた。




 日本経済新聞  平成11年1月10日  和太鼓 人の輪 町躍進  福井県織田町 専用館で腕磨

 和太鼓による町おこしが各地で活発になっている。担い手は約一万五千あるといわれている太鼓演奏チームだ。
 なかでも、伝統芸能の枠を超えた創作太鼓音楽への取り組みが目立ち、子供からお年寄りまで、参加者のすそ野は広い。音楽とスポーツを同時に楽しめるような、それでいて元気のいい演奏の魅力が人気の秘密だ。和太鼓の練習舘を拠点にユニークな地域づくりを進める福井県織田町と、石川県松任布の太鼓教室に焦点を当て、その可能性を探った。

 和太鼓プロ演奏の第一人者、林英哲さんが姿を見せると、練習館に緊張が走った。真ん中にに胴回りが二bもある大太鼓。
「ドドン」。林さんが指揮者のように軽やかにバチを打つと、演奏メンバーが一斉に後から続く。
 昨年12月19日、福井県織田町のオタイコヒルズは熱気に包まれた。ヒルズは太鼓演奏のため町が整備した専用練習館や宿泊、野外演奏施設などから成る全国でも初めての総合施設。
 この日午後「英哲風雲の会」のメンバーら十数人が東京など全国から集まって、合宿練習が始まった。「世界の頂点に立つ演奏者らと一緒にプレーできるのは練習館のおかげ。ばち一つで集まれる施設は町がつくった最大のヒット商品ですよ」。メンバーの一人で地元で家具会社を経営する上坂優さんは、こう言って胸を張った。

 上坂さんは地元の太鼓チーム「OTAIKO座明神」(20人)の座長。林さんと全国の太鼓演奏リーダーらでつくる「風雲の会」には95年から参加している。合宿には明神から2人加わったが、チーム仲間や町幹部らも大勢姿を見せた。地元では明神の自主公演など新たな太鼓の町戦略を本格化する方針が固まったばかりで、ブロの技が勉強できればと見守る視線は熟い。
 織田町は人口約五千三百人、山あいの小さな町だ。江戸時代から続く伝統芸能の町内太鼓人気に目を付け、ふるさと創生資金で創作音楽用の大太鼓を90年に購入したのが太鼓の町づくりの始まり。明神はそのいわば戦賂ブランドで、町が全面支援して発足した。ブロの演秦指導者を東京から招くなど猛練習しできたが、4年前に整備、利用を始めたオタイコヒルズが追い風になった。関連施設整備費は約八億円。防音設備の整った施設は全国的な演奏練習活動の拠点となり、「他流試合でどんどん腕を上げた」(林英哲さん)。
 「ハードの次はソフトの充実。目玉は明神の自主公演で、町を挙げて夏には実現したい。オリジナルで自由な舞台づくりが可能になれば、それは自然に町の発展、魅カアップにつながる」と、武田直登町長の鼻息は荒い。宿泊施設だけで町人口を上回る年間利用者があり、毎夏開催する太鼓コンサートにも一万人規模の観客が集まるなど波及効果は着実に高まっている。今後は打楽器の世界的な研究やワークショップの場づくりを目指すというが、新たな計画と連動して、地元チームへの期待は膨らむ一方だ。ただ、自主公演で全国ツアーなどが増えると、商店主や町職員、OLら働き盛りの多い明神メンバーは仕事どの両立が簡単ではない。(〜中略)


  朝日新聞  平成11年8月17日  あの1億円どうなった ふるさと創生10年  海外にも響く和太鼓 福井

 カメルーン産の大木をくりぬいた胴回り、長さとも1.92b、重さ2dの大太鼓が、福井県織田町にお目見えしたのは1989=写真。
「明神」と名付けられ、当時は西日本一の大きさ。製作費約二千万円を、ふるさと創生一億円からまかなつた。
 もともと太鼓の盛んな土地柄。明神の製作を機に、90年から太鼓を中心にしたイベント「O・TA・I・KO響」を開催。91年には、町民らが太鼓打ち手チーム「OTAIKO座明神」を結成した。96年に大きさ西日本一の座を明け渡したが、チームの練習や全国各地の舞台で活躍し、海外公演にも欠かせない存在だ。





 福井新聞  平成11年8月22日  とどろく和太鼓1万人熱く  織田OTAIKO響10周年

 和太鼓の祭典、OTAIKO響'99(同実行委員会主催、福井新聞社など共催)21日、撤田町のオ夕イコヒルズで開かれた。
 今年は10周年にあたり、国際的に活躍する腕自慢らが記念ステージに集結し、雨の中で勇壮な響きを放って観客約一万人余りを圧倒した。
 メ‐ンステージは午後6時40分すぎ開幕。幻想的にライトアツプされた舞台で、渡辺洋一さん主宰の太鼓集団「天邪鬼」、和太鼓の第一人者として活踊する林英哲さんと林さん率いる「英哲風雲の会」が華麗なばちさばきを披露した。地元のOTAIKO座「明神」は北陸随一の大太鼓、明神を駆使し、オリジナル曲「夢開眼」を「天邪鬼」とジョイソトし熟演。途中からあいにくの雨となったが、観客は夕オルなどを雨よけに、熱心に鑑賞していた。
 恒例となったオールジャパン・オタイコ・コンテストでは、歴代優勝者による「グランドチャンピオン大会」を行い、一本打ちと団体の部で競つた。両部門の知事賞には高田義勝さん(愛媛)大舘曲げわつば太鼓(秋田)、町長賞には石井昭仁さん(秋田)八ツ杉権現太鼓(福井)が輝いた。


 毎日新聞  平成12年7月14日  全国的なイベントに  伝統の太鼓で町おこし 若者の情熱が運営支える

 織田町は、福井市から南西へ車で30分、丹生山地の山闇に位置する。人口5300人、
             ・・・(中略)・・・
 太鼓の町でもある。全集落に「だいずり太鼓」が伝わる。
 劔神社に毎年奉納する「明神ぱやし」は330年の伝統を持つ県の無形文化財だ。毎年10月に行われる「織田まつり」では、町内8支部から「だいずり太鼓」の山車が繰り出し、勇壮な響きが町中を包む。町は住民に深く根を張った太鼓芸能文化を町おこしの核に据えた。
 まず1989年の「ふるさと創生事業」で、当時西日本一の大太鼓「明神」(胴回り約2b)を作った。単に飾るだけでなく、町民による打ち手集団を育成した。和太鼓奏者の第一人者、渡辺洋一氏の1年間にわたる指導で「O・TA・I・KO座明神」が結成された。厳しい練習にメンバーが次々脱落、1年後には半数の10人に減っていた。90年、太鼓を通して町内外の交流の輸を広げようと、往民による手作りイベント「O・TA・I・KO響(ひびけ)」がスタートし、O・TA・I・KO座明神もヂビューを飾った。
 O・TA・I・KOは「オー、太鼓」「大太鼓」「織田へ行こう」の三つをかけている。国内外から腕に覚えのある奏者が競う「オールジャパン・オタイコ・コンテスト」や和太鼓の第一人者らによる競演など練りに練った企画を連発し、小さな町が発信した太鼓の響きは全国にとどろき、我が国を代表するイベントにまで成長した。10周年を迎えた99年までの闇、来場者は延べ14万5000人、出演ゲストは日本各地、米国、オーストラリア、韓国などから約40団体にのぽる。今年は8月19日に行われる。イベントは、町商工会脅年部を中心に町内外から募集したボランティア300人が企画、運営、実施に当たっている。準備は1年がかり。若者の知恵とエネルギーを結集した発想がイベントを支えてきた。
               ・・・(後略)・・・


 福井新聞  平成12年8月20日  豪快和太鼓1万人沸く

 和太鼓の祭典「O・TA・I・KO響2000」は19日、織田町のオタイコ・ヒルズで開かれた。
 東北・北海道から集まった太鼓グループがライトアップされたステージで勇壮なばちさばきを次々に披露し、詰めかけた一万人の観客を魅了した。 
 開催11年目となる今回から趣向を変え、メーンの「宴2000」では全国の太鼓芸能を五年計画で紹介する「日本全国ふるさとの響き」が始まった。
 今年は東北・北海道編で、各地域の伝統ある太鼓グループなど6組が出場。迫力満点の演奏が始まると、太鼓の振動が会場全体に伝わった。
 地元のO・TA・1・KO座「明神」は最後に登場。大太鼓「明神」が幻想的な・ライトの光に照らされる中、荒々しいリズムが会場を埋め尽くした観客を沸かせた 

 和太鼓日本一を決めるオールジャバン・オタイココンテストには個人7人、団体4組が出場。一本打ちの部で佐藤健作さん^埼玉)が知事賞、宇津木祐司さん(東京)が織田町長賞に輝いた。
団体の部では石州浜田太鼓(島根)が知事賞、加賀白山太鼓吹雪会(石川)が同町長賞を受賞一した。


 朝日新聞  平成12年9月17日  芸術になった祭り太鼓

 福井県織田町には、織田信長の祖先が神宮を務めていた剱神社があり、町民の多くが太鼓に慣れ親しんでいる。
 10月の神社の例大祭りで、五穀豊穣に感謝する太鼓演奏「明神はやし」が奉納されるからだ。祭りが近づくと、町内中で子どもから大人までが明神ばやしの練習に励み、祭り当日には、8つの太鼓が町内を練り歩く。創作太鼓の演奏集団「O・TA・1・KO座『明神』」は、そんな土壌に生まれた。
 胴回り直径2b、長さ3b、皮面の直径1.5b 「ふるさと創生事業」を使い、町は約10年前、当時としては西日本一大きな太鼓を作った.カメルーン産のブビンガと呼ばれる固い木をくりぬいて製作し、「明神」と名付けた。 町商工会青年部を中心に
1990年夏、町内で太鼓イベントが企画された。東京からプロを呼びたたいてもらったところ、「明神」の響きは評判になった。
「次は是非、自分たちの手で」と、町内の有志10人が結集。毎月、講師を招いて練習を重ね、翌年の催しでデビュー果たした。 その後、活動の場は広がり、県内外の演奏会や祭りへの出演は年20回以上に上る。芸術性が注目され、96年にはオーストラリア・アデレード市での世界芸術フェスティバルにも招かれた。
 座長の上坂優さん(40)は「プロではないが、高いレベルを目指している。練習が活動の最たるもの」と強調し、年間を通じ週3回の練習を欠かさない。メンバーは、造園業者やサラリーマン、高校生など十〜四十歳代と様々で、事務局役と打ち手の計25人。 2年前から座に加わる高校三年生、河原佳代子さん(18)は「オタイコに感動したのがきっかけ。ステージ上にたくさんの人の感動が伝わってくると、ばちを持つ手に力が入ります」。進学や仕事の都合などで入れ替わりながら、「O・TA・1・KO」の響きは若い世代に確実に受け継がれている。

 O・TA・I・KO座「明神」 ネーミングには「織田へ行こう」「大太鼓」「オー!太鼓」の意味が込められている。メンバーのうち二人は、JTのテレビCMで太鼓を演奏した。結成10周年を迎え、活動の集大成として11月24日、福井市で初の単独コンサートを開く。



 福井新聞  平成12年11月25日  OTAIKO座明神  激しいパフォーマンスで重低音を響かせた「O・TA・I・KO座明神」結成10周年コンサー卜

 織田町の和太鼓打ち手集団「O・TA・I・KO座明神」結成10周年を記念した初の単独コンサート(リサイタル実行委主催、福井新聞社共催)が24日夜、福井市のフェニックス・ブラザで開かれた。・「10年問の集大成を」と意気込む団員たちの魂のこもった重低音が、会場内に響きわたった。
 メンバーは上坂優団長ら町内外の25人。同町のシンボルである五尺太鼓「明神」を使った男女2人の演奏「鼓心」から、
1990年の思い出のデビュー曲「夢・開眼」まで計10曲を披露。
 霧の中に太鼓が浮かび上がる絶妙の演出の中で、全身を激しく動かしながら「えいや!」「それー」と勇ましい掛け声で一糸乱れぬパフォーマンスを演じた。
 同町の夏の祭典「Q・TA.・I・KO 響」をはじめ,国内外で活躍するO・TA・I・KO座明神だけに、・会場は約二千人のファンで埋め尽くされ、盛大な拍手を送っていた。



 福井新聞 平成12年12月3日(投書欄より) 力強い和太鼓感涙止まらず   福井市 T・S男(70歳)

 去る11月24日、福井市のフェニックス・プラザで行われた打楽響奏コンサートに行き、久しぶりに感動を受けました。10年前に織田町に誕生した「O・TA・I・K0」は、話には聞いていましたが、ごんなに素晴らしいものとは思いませんでした。
 苦節10年。立派な花を咲かせ、満員の観客を魅了し、腕も折れんぱかりに汗だくでたたく和太鼓の響きに、最後までだれ一人席を立つ人もなく、また演奏が終わっても感動の拍手は鳴りやみませんでした。
 一口に10年とはいえ、その間のご苦労はいかばかりか。思わず胸が熱くなり涙が止まりませんでした。織田町に生まれた小さな太鼓は今や本県の誇りです。そして日本中どころか立派に世界にも通ずるものと思います。関係者の皆さん、大きな感動をありがとう。




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