O・TA・I・KO響実行委員会
  〒916-0215 福井県丹生郡越前町織田36-1
  ☎0778-36-1111









O・TA・I・KO響(おたいこ・ひびけ)30年の知られざる秘話の数々

根源はだいずり」、大太鼓「明神」が火をつけた

O・TA・I・KO響は、旧織田町が平成2年から始めた「和太鼓」のイベントです。
平成元年に、あの有名な「ふるさと創成資金」1億円の一部を使って、当時としては西日本一
の5尺の大太鼓「明神」を製作したことから始まります。
 もともと織田町には、劔神社の秋の例大祭に、五穀豊穣に感謝して氏子たちが「だいずり
太鼓を奉納する、子供たちにとっては通過儀礼的な太鼓文化が伝承されていました。

 この面々と続いていた太鼓文化に「大太鼓明神」というツールが与えられて、30年を超え
る和太鼓のイベントが継続・成長できたのです。


  注)ふるさと創生資金があったから大太鼓明神をつくったのではありません。制作の注文はその数年前です。たまたま完成した年にふるさと創生資金一億円が全国の
   市町村に交付されたのです。 織田町はラッキーだったのです。

O・TA・I・KO 響 は、親父ギャグ

 立ち上げ会議の時は、「太鼓フェステバル」(仮称)などと言ってましたが、個性的なイベントの名前にしようということに。
 と、いっても「言うは易し・・・」で、1990年3月正式イベント名が決まらず煮詰まっていた焦っていたころ、企画会議直前に
企画会社「マインド」のスタッフと役場職員がほぼやけ気味に「オオキイタイコ」「オタノオオタイコ」「オー!タイコ」「オタヘ
イコウ」などとダジャレを言い合っていたなかから、まず「オタイコ」が採用になり、太鼓の音は体全体に響くことから漢字の響を
加え、カタカナの「オタイコ」をローマ字表記にしてなどなどの経緯を経て・・・
イベント正式名称:O・TA・I・KO響 と決定いたしました。  ほぼほぼダジャレの世界です。


毎回の O・TA・I・KO 響 の文字は超有名書道家先生が・・・



 O・TA・I・KO響のポスター、ステージ看板、幕などの文字は第一回目から書道家「吉川 壽一」先生が
欠かさず書いてくださっています。
 吉川先生は、NHK大河ドラマ「武蔵」のタイトル文字や、福井城のお堀に「福」と書いた紙を敷き詰めたりなど
のパフォーマンスで著名な書道家先生です。



会場が、オタイコ・ヒルズの野外ステージへ

 平成5年から、O・TA・I・KO響の会場は、それまでの旧織田小学校グランドから、
野外ステージ、太鼓練習館、宿泊施設、レストランなどが整備された
「オタイコ・ヒルズ」になり、現在に至っています。
 オタイコ・ヒルズの建設は、第2回目のO・TA・I・KO響でOTAIKO座明神がデビュー。その際のステージTVインタビューで練習会場がなくて山奥の除雪機械格納庫で虫に悩まされながら練習したことを紹介すると、会場から「練習場ぐらい造ってやれー!」の声が多くかかりました。
 この人声がきっかけとなり、太鼓練習館を備えたオタイコ・ヒルズの建設となったのです。


当初、O・TA・I・KO 響は旧織田町商工会「サマーフェステバル」との共催だった。


 O・TA・I・KO響のコンセプトは、「町民自らの発想、運営で魅力あるまちづくり」
 経費は町が、人手は町一番元気のある商工会が、ともにウイン・ウインにで始まり
ました。
 最初数年間は、お昼は商工会の「サマーフェステバル」。日が落ちてから
O・TA・I・KO響のスタートという流れで開催されていました。
 ゆかたコンテスト、巨大迷路、ネコバスならぬネコ耕運機などが懐かしい。